リセの哲学
教師であったアランが、次のように述べているのは結構興味深いと思います。
「私は、生徒の
勉強は性格のための試練であって、知性のためのものではないという結論に達する。それが綴り方であろうと、訳読あるいは計算であろうと、重要なのは気分に打ち勝つことであり、意欲することを学ぶことである。」(アラン 『教育論』 p.85)
というのも、<そういう意識で日本は
教育などしているだろうか?>と思うからです。
もちろん、そういう教育こそ必要だと私は思うのです。
意欲というものを失ったような若者はあなたのまわりに結構いるんじゃないでしょうか?
いや、若者だけではないでしょう。
アランは、
「考えるとは意欲することなのである。」(アラン 『幸福論』
フランス語原文 p.91)
とまで言っています。
自分を決めつけて、意欲できないようにしてしまっている人さえ、見かけるでしょう。
次のような人です。
「まず自分を信じないのに何事かを企てるというのは、明らかに狂っている。意欲できると信じないで意欲すること、自分に対して大きな誓いを立てないで意欲することは、決して意欲することではない。自分が弱くて浮動することを予見する人は、既に弱くて浮動している。」(アラン 『思想と年齢』 p.93)
オプティミスムが意志の所産であることは、アランの主張の中でも多くの人が共感するところでしょう。
「あまり注目されていないことだが、オプティミズムが意志の所産であるのに対し、ペシミズムは人間が意欲を喪失したさい、直ちに陥る自然な状態である。その深い理由は、いい加減な思い付きを厳しく監視し、自己に誓いを立て、順序だてて行動する自己統御こそが、あらゆる幸福の源泉であると共にその条件だからである。人間は身体の動きに流されてしまうと、自分がどれほど陰気な自動人形に堕してしまうか、十分自覚していないのだ。」(アラン 『裁かれた戦争』 p.122)
対象をきちんと認識し、それを用いること。
これは大事です。
「思考し意欲する術は、航海の術に似ている。人間は大洋より弱いにかかわらず、横断に成功する。波や流れを利用するのだが、彼の望むがままに利用するのではない。流れや波の望むがままにでもない。」(アラン 『人間論』 p.30)
<なんでこんな世に生まれちゃたんだ! 別に生まれたくて生まれてきたんじゃないやい!>
なんて思う人もきっといるでしょうが、
「人は生まれることを選ぶわけではなく、もちろん自分の両親を選ぶわけでもない。それで、よい意欲、正しい意欲は、ここから出発して、出てくるものを伸ばすことにある。」(アラン 『人間論』 p.135)
という言葉もありますよ。
posted by masaccio at 23:15|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
日記
|

|