2006年12月12日

もう一度信じること

人間を信じるべき理由も沢山あるが、人間を信じるべきでない理由も沢山ある。だけど、春というものについては、それを信じるべき理由しかないとアランは『神々』という本の中で書いています。
これが生きるということだと。
一日の始まり、そして季節のめぐり、それに敬虔な気持ちで対することだというのでしょう。

それは、もう一度信じることだとも、書いています。

もうすぐクリスマスですが、ご存じのように、クリスマスは古い冬至のお祭りが起源です。冬至とは、一日の昼の時間がこれ以上短くはならないことを意味しているでしょうし、来るべき春を約束しているのです。

キリストは、そういう約束を「信じること」の動きの中に、位置づけられたのでしょうね。

「英雄や神の死と復活は、春の回帰と結び付くことになる」とは、アランの『思想と年齢』の中の言葉です。

「春を単にその自然の効果によって考えるのは、まだ考えることではない。それ〔考えること〕は、待つこと、身構えること、幸福となることである」とも、同じ本で書いています。
ラベル:信じること
posted by masaccio at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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