2007年01月25日

薬か、食べ物か?

「薬は病人にはよいが、人が生き、人が喜ぶのは、食物によるのである。」 (人間論 p.62)というアランの言葉があります。

当たり前じゃないか、といわれるかも知れませんが、ちょっと考えてみてください。
薬として使われるものにどんなものがあるかということです。比喩も含めて。

私は「法律」を薬の一種と考えてみようと思います。

例えば、夫婦の間に法律が介入してくるときはどういうときでしょうか?
恐らく夫婦がうまくいかなくなって、離婚などという事態になりかかっているときでしょう。その夫婦は、夫婦として病気になっているのでしょう。
手術をして切り離さなければならないのかも知れませんし、法律という薬を念頭に置いて修復へと向かうかも知れません。例えば、<年金分割なんてやられたらたまんない>とか考えたりして・・・。

それに対して、夫婦にとっての食物は「愛」なのでしょうね。
ラベル:法律 夫婦
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宿命について

宿命と運命とは、違うのかも知れません。
というか違うとしたらどう違うんでしょうかねぇ?

先日、『オーラの泉』を観ていたら、美輪明宏さんが、この違いについて力説していました。
宿命は変えられないもの、運命は変えられるものというのが、大筋だったような。

さて、宿命についてアランは例えば次のように言います。

「宿命論とは、将来この世で起こることはすべて書かれている、もしくは予言されていると信ずる心的状態(disposition)にほかならない。」 (思索と行動のために p.262)

「宿命論は、私たちの心の罪を許す抽象的な理論なのである。」(人間論 p.248)

「もしも私たちが、木を切る人のようにしなやかで、冷静で、慎みがあるならば、宿命観はもはや何の力も持たないであろう。このとき、私たちは落ちついて未来を変えるのである。」 (人間論 p.248)

運命については、

「生きるという場合には、受け入れるのと余儀なくするのとでは大きな相違がある。行為自体が変えられるのである。運命が私たちを導くとはどういう意味か、はじめ私にはよくわからなかった。運命は私たちに対して刻々に通路を ---- おしひしがれ悲観している人が足を入れぬ通路を提供してくれる、というのがその意味である。希望は多くの戸を開いたのだ。」 (人間論 p.136)

これら四つの引用を見ただけでも、確かにアランは宿命論には批判的で、運命論についてはそれほどでもないような態度を採っていそうですね。

「一言で言えばすべての感情は、その対象がなんであれ、機械的な宿命を克服したという意味で、崇高さを内に含んでいるのである。」 (芸術について p.124)

さらにこの引用から考えてみるに、どうやらアランは「機械的な宿命」を超えるものを成立させる営みとして芸術を考えているように思います。もちろん、「機械的な宿命」を<否定する>のではなくて、<超える>のでしょうねぇ。




ラベル:宿命 運命
posted by masaccio at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アランに関係する書籍

アランに関する本はかなり出ています。
以下に、参考までに、リストを掲げておきましょう。
一応、日本語のものだけあげておきます。
すべて私は持っています。

邦訳

1. アラン著作集1 『思索と行動のために』 中村雄二郎訳 白水社
2. アラン著作集2 『幸福論』 串田孫一・中村雄二郎訳
3. アラン著作集3 『感情、情念、表徴』 古賀照一訳
4. アラン著作集4 『人間論』 原 亨吉訳
5. アラン著作集5 『芸術についての二十講』 安藤元雄訳
6. アラン著作集6 『イデー --哲学入門-- 』 渡辺 秀訳
7. アラン著作集7 『教育論』 八木 冕訳
8. アラン著作集8 『文学折に触れて』 杉本秀太郎訳
9. アラン著作集9 『宗教論』 渡辺 秀訳
10. アラン著作集10 『我が思索のあと』 田島節夫訳
11. 『思想と年齢』 原 亨吉訳 角川文庫
12. 『幸福論』 宗 左近訳 社会思想社現代教養文庫
13. 『諸芸術の体系』 桑原武夫訳 岩波書店
14. 『デカルト』 野田又夫・桑原武夫訳 みすず書房
15. 『神々』 井沢義雄訳 彌生書房
16. 『考えるために』(原典題名は『第一哲学についての手紙』) 仲沢紀雄訳 小沢書店
17. 『裁かれた戦争』 白井成雄訳 小沢書店
18. 『人生論集』 串田孫一編 白水社 
19. 『アラン・ヴァレリー』 中央公論社 世界の名著66
20. 『人生語録』 井沢義雄・杉本秀太郎訳 彌生書房
21. 『定義集』 森 有正訳 みすず書房
22. 『プラトンに関する十一章』 森 進一訳 筑摩叢書326
23. 『音楽家訪問 --ベートーヴエンのヴァイオリンソナタ --』 杉本秀太郎訳 岩波文庫
24. 『彫刻家との対話』 杉本秀太郎訳 彌生書房
25. 『我が思索のあと』 森 有正訳 思索社
26. 『人間論』 井沢義雄訳 角川文庫
27. 『幸福論』 白井健三郎訳 旺文社文庫
28.  同 平凡社 世界教養全集5所収
29. 『幸福論』 石川 湧訳 角川文庫
30. 『幸福論』 大木 健訳 評論社
31. 『経済随筆』 橋田和道訳 筑摩書房
32. 『スタンダアル』 大岡昇平訳 創元社
33. 『精神と情熱に関する八十一章』 小林秀雄訳 東京創元社
34. 『バルザック論』 岩瀬 孝・加藤尚宏訳 冬樹社
35. 『ラニョーの思い出』 中村 弘訳 筑摩書房
36. 『マルス---裁かれた戦争』串田孫一・加藤昇一郎訳 思索社
37. 『暴力の敗退』(上・下) 武者小路実光訳 創元社
38. 『芸術に関する101章』(原典題名は『美学入門』) 斎藤正二訳 平凡社 世界教養全集 12 所収
39. 『児童教育論』 松島 鈞訳 明治図書出版
40. 『アランの「エチュード」』 高村昌憲訳 創新社
41. 『海辺の対話』 原 亨吉訳 角川文庫
42. 『スピノザに倣いて』 神谷幹夫訳 平凡社
43. 『アラン教育随筆』 橋田和道訳 論創社
44. 『四季をめぐる51のプロポ』 神谷幹夫訳 岩波文庫
45. 『芸術論集・文学のプロポ』 中公クラシックス
46. 『プロポ I』 山崎庸一郎訳 みすず書房
47. 『プロポ II』 山崎庸一郎訳 みすず書房
48. 『アラン、カントについて書く』 神谷幹夫訳 知泉書館
49. 『幸福論』 神谷幹夫訳 岩波文庫
50. 『定義集』 神谷幹夫訳 岩波文庫
51. 『芸術論集 文学のプロポ』 桑原武夫・杉本秀太郎訳 中公クラシックス
52. 『アラン経済随筆』 橋田和道訳 論創社 [31.の改訳]
53. 『アラン 芸術について』 山崎庸一郎訳 みすず書房
54. 『アラン 初期プロポ集』 高村昌憲訳 土曜美術社出版販売

解説書など

1. アンドレ・モーロワ著 『アラン』 左貫 健訳 みすず書房
2. 加藤邦宏著 『アランの言葉--ビジネスマンのための成功哲学 --』 PHP研究所
3. 加藤邦宏著 『アランからのメッセージ --ビジネスマンのための人間学』  春秋社
4. 加藤邦宏著 『勇気がわくアランの言葉』 PHP研究所
5. 加藤邦宏著 『アラン『幸福論』の読み方』 プレジデント社
6. 木村艸太著 『アラン -- その人と風土 --』 綜合出版社
7. アンドレ・カルネック 『アランとルソー ---教育哲学試論--- 』 法政大学出版局
8. オリヴィエ・ルブール 『人間的飛躍 ---アランの教育観---』 勁草書房
9. 上田 薫 『布切れの思考 ---アラン哲学に倣いて---』 江古田文学会
10. 谷沢永一 『幸福通---アラン「幸福論」の知恵---』 海竜社
11. ジョルジュ・パスカル 『教育者アラン』 橋田和道訳 吉夏社

邦訳5. アラン著作集5 『芸術についての二十講』 安藤元雄訳については、矢内原伊作・安藤元雄訳の旧版があり、フランス語原典は同じなのですが『芸術について』という題名が付けられています。
邦訳16.の『考えるために』は原典題名が『第一哲学についての手紙』です。
『思索と行動のために』も原典題名は『哲学原論』といった意味です。

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2007年01月13日

勇気の大切さ

アランは、その師ジュール・ラニョー次の文章を引用しています。

「あらゆる困難は、君が勇気を欠くところから生まれてくる。」
(アラン 『我が思索のあと』 アラン著作集第10巻 白水社 p.167)

また、アランは、勇気というものによって人間を定義することができるだろうとまで言っています。

勇気を持たなければ自分を愛することさえできない、と。

例えば次のようにも言っているのです。

「わたしが自分のうちから成長させるもの以外は絶対に自分のものとはならない。こういう種類の勇気、こういう種類の経験、これこそが真の自己愛である。相手がこういう自己愛をもてるようにと手助けすることはできる。他人に対するこれ以外の奉仕はおそらくあり得ない。」(アラン 『感情・情念・表徴』 アラン著作集 第三巻 白水社 p.164)

しかしこの自己愛は、何か出来上がった対象のような自分を愛することとは違います。以下の引用は、こうした勇気を<対象のように考えてはならない>ことを述べています。

「私が行うこと、自己に関するのはそれだけだ。だが、自分のうちには何にも残らない。習慣や才能だけをあてにするのは、他人をあてにすることにほかならぬ。自己のうちに残されるのは勇気だけである。だが、これを奮い立たせ維持することが必要だ。これを対象化し、これを愛そうとしたら最後、そんなものはなくなる。」
(アラン 『思索と行動のために』 アラン著作集 第1巻 白水社 p.303)

好きだなあ、こういう言葉。

posted by masaccio at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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