2007年02月12日

人間というものの美しさ

幸福というものについて考えるときに、そもそも人間に絶望せずに、美しいと思えるかどうかということは大きいように思います。

この点でもアランはいろんな言葉を残しています。

例えば、

彫像作者にとってのモデルはギリシアの彫像ではない、それは人間である。ギリシアの競技者は一つの完全な解決だが、しかし人間の数だけ多くの解決があるに違いない。もう一度ゲーテを引用しなければならない。「すべての人間はその場所において永遠である」と。よろしいか、すべての人間は、だ。もしも諸君が本質を見いだすならば、もしも諸君が人間をまっすぐに立たせるものを見いだすならば、決して醜いものはない。
(アラン 『芸術について』 アラン著作集5巻(旧版)p.223)

この文章、かなり好きです。
昔はかなり人間というものにガッカリしていて、ニヒルな雰囲気を好んでいたんですが、<もう少し人間を信じてみようかな?>という気になったのは、アランの影響も大きいかな。

また、先日書きこんだ「音楽と体操」に関わる次の文章もいいですよ。

闘技士の像は、音楽と体操とによって、すべての精神状態が、肉体の中に流れ込み、そうして、肉体の形式と調和している、という状態を、表しているのである。だから、切り離された魂などというものは、もはや、そこにはない。その形式は不滅で、神々しい。(アラン 『美学入門』 p.198)

こういう文章を頼りにいろいろ考えてみることほど楽しいし、元気になることはありませんね、少なくとも私にとって。

ラベル:
posted by masaccio at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。