2007年09月03日

知ることとできること

別に理由を知らなくても、できればいい、ということはありえます。

というか、普通はそんなところで人は動くのではないでしょうか。

「人は知識以上に能力を好む。そして、成功は常に私たちの理解力を越えるとは、私たちの行動の奇妙な一法則である。そこで、成功によって面目を失わぬ人はないのである。何の技術であれ、およそ技術とは自己自身をあなどるこの種の思想である。実際に空を飛ぶことができるなら、理屈はどうでもかまわないのだ。」(アラン 『人間論』 p.166)

もちろん、アランは「理屈」にもこだわりたいのです。


塾で中学生を教えていたことがあります。
数学で文字式などの問題をやらせる前に、一応の説明はします。
でも理解しない生徒がいる。
そういうとき、あなただったらどうしますか?

理由はどうあれ、<文字aには〜を、文字bに〜を入れればいいんだよ!>と言いたくなる。

確かにそうすれば、答えは出て、答え合わせで<正解!>ってことになるんだから、それでいいんだっていうことになりますかね?

なんかおかしいと思いませんか?

これが、つまり、<できるようにはなったが、理由がわからない>ということでしょう。

別に中学生に限ったことではありません。

いろいろな学問には公式というものがあります。
マックスウェルの公式とか・・・・。
本当はそれをいちいち自分できちっと理解した方がいいに決まっている。
でも、<使えればいいじゃん!>っていう人が一杯います。

でもそれでいいのかなあ。
できることが幸福なんでしょうか?
posted by masaccio at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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