2006年12月11日

自分自身について考えること

自分自身を考えることは、時として、危険です。
特に、<自分自身のことしか考えられなくなっているとき>には、そうでしょう。

アランは、そういうときにあるのは、倦怠、悲哀、不安、焦燥といったものだ、と書いています。

そういえば、パスカルが、あのキリスト教の護教論の草稿、つまり『パンセ』の中で、頻繁に倦怠について述べていました。
きっと、数学だけでなく、自分自身のことに目が向いたのでしょう。
そうしたら、自分が(そして人間が)「悲惨」であることに気づく。
しかし、悲惨だけではないことにも気づく。
キリストにおいて、「偉大」と「悲惨」を同時に見て取る。
そうやってキリスト教にのめり込んでいるわけですね。

それに、刑罰における禁固刑の重さもここに関わっているかな。
独房の中では、恐らく、否応なく、自分自身に目は向くでしょうからね。

ラベル:自分自身
posted by masaccio at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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