2006年12月18日

思考にはある程度の寒さが・・・

思考にはある程度の寒さが必要だ、とアランは『人間論』で書いています。

デカルトから一番多くを学んだと言われているアランが、まさにデカルト念頭に置いて記した言葉でしょう。炉端における6日間の省察のことです。

「デカルト的な思考よりももっと透徹しもっと真実である自然な思考があるという考え」は破壊的だと言っています(『イデー』のなかで)。

もちろん、言わば<自然に反して>導入される、いわゆる「方法的懐疑」のことを考えているのです。そういう自然に身を委ねてしまえば、思考も狂気も区別さえできないというのでしょう。

では、温かい地域では話はどうなるのでしょう。

実際、デカルトに最初に全面的な反旗を翻したのは、温暖なイタリアはナポリの哲学者・修辞学者のヴィーコでした。ヴィーコの叙述方法が、デカルト的な明晰さを持っていないことは一読すればわかります。
でも、明晰判明さを求めてデカルトがふるい落とした事柄を、それは保存しているからなのではないでしょうか。

ヴィーコの営みは「思考」ではないのでしょうか?
posted by masaccio at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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