2007年02月04日

情念とどう付き合うか

アランは「情念(passion)」の哲学者だと言われます。

恐らく、自分でも情念に苦しめられたのでしょう(誰でもそうでしょうが)、それをどう扱ったらいいかをしばしば書いています。

例えば、怒り・恋・悲しみ・苛立ち・焦燥なんていうのを例に挙げてみるといいんですが、そういうときに自分はどんな風に振る舞っているかを、後からでいいので、冷静に振り返ってみるといい。殆ど反射的に、つまりしっかりと批判的に考察してではなく、行動していたのがわかるでしょう。つまり、物体が衝突すると跳ね返るみたいに、反射的に人が動くときもあるわけです。機械的(メカニック)な動きです。

こうしてアランは次のように記します。

「デカルトは、彼の気分の中では彼はメカニックなものでしかないということを選択する。そしてこう定めたことによって、私たちの情念は事物の領域に帰せられる。」
(『イデー』 pp.165~166)

気分というものに流されているときは、自分はメカニックなものでしかないと「選択する」、つまりそのように決断するわけです。だからこそ、それは事物的な振舞いなんだという了解に達します。そういう前提においてこそ、物を操作するようにして、情念を操作するというスタンスも取りうるわけなのでしょう。

でも、どうやって?

それをアランは、「音楽と体操によって」と言っています。
ラベル:情念
posted by masaccio at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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