2007年03月29日

儀式というもの

儀式というと、形式張っていて御免こうむるという人も多いのでしょう。

ただ形式が内容を救うということもあるのかもしれない、といったことは考えてみた方がよさそうです。

次のような言葉があります。

「凡そ儀式の身振りは決して烈しいものでもなければ、予見されないものでもない。」(アラン 『神々』 p.136)
          
振舞いが穏やかで予想されるものであること、それは人を落ち着かせるでしょう。
その儀式に積極的に参加する者は、その落ち着きを自分のものとして手に入れるでしょう。
情念に揺り動かされていた者は、それから、ある程度、救い出されるでしょう。
要するに、外面的なものが内面を救うのです。

アランは、
「結局のところ、情念に勝つのは外的な秩序だけである。」(アラン 『イデー』 p.338)
とまで言っています。

「内面の平和は外面の平和を必要とする。」(アラン 『人間論』 p.33)、とも。

一人では容易に手に入れられないような落ち着きも、集団がそれを助けることによって手に入れうる場合があります。
だからこそ、アランは次のように言いのでしょう。

「儀式は集団的な礼儀である。」(モーロワ 『アラン』 p.83)

芸術にもこのことは関わってきます。

「詩、散文、美しい言語は、また儀式である。」(アラン    『神々』 p.135)
posted by masaccio at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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