2007年04月12日

批判とかの続き

批判について、先日、書いたんですが、それとの関連でブレーンストーミングを思い出しました。

アイデアを出して、それをまとめ上げるときに使うあれですね。

その実行原則の一つとして、「批判をしない」みたいなのがあったと思います。
批判しないで、むしろ発言を発展させるという感じでしたね。

これは結構大事だと思います。

<批判するよりは救い出す、ないし助ける>わけでしょう。

自分に対しても、批判ばかりして追い込んでも仕方がないんじゃないのか・・・。

例えば、

「自己自身に対する一種の義務としてすでに最善のものを救うべきであり、他のことは出来れば忘れるようにしなければならない。そして私の考えたところでは、これこそ真の悔悟なのだ。これに反して、無益な後悔は自己の亡霊のなかに成立するものである。」
(アラン 『わが思索のあと』 p.304)

なんていう言葉もあります。

また、次の言葉もちょっといいですね。

「私たちの意志は、どんなに合理的な意志であっても、まったく合理的でなかった選択からできる限りのものを救うことに、常に執心するものである。」
(アラン 『イデー』 p.112)

文章を書くときにだって、こういうことは言えそうですよ。

「すべての選択は既になされている。ここでは、自然が私たちの先を越しており、ほんの些細な事柄においてもそうである。なぜならば、ものを書くとき、私は語を選ぶのではなく、むしろ、自然の動きを解き放つことに注意しながら、既に始まっているものを継続するからであり、これは、変えるというより、むしろ救うことである。」
(アラン 『思想と年齢』 p.338)
posted by masaccio at 22:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アランのすばらしいところは、masaccioさんの指摘されているような自己を肯定し、救うことの大切さを説くと同時に、一方では自己に反し、自己を拒否するものが自己を高めてゆくのだというヘーゲル的な考えも説くところですね。凡百の教育論より、アランの思考のほうが教育の原理をついているように思います。ちょうど、「わが思索のあと」を読み返しているところでした。
Posted by 昔のバロック少年 at 2007年04月15日 09:15
昔のバロック少年さん、おはようございます。

コメント、ありがとうございます。

アランは、教育者として見事な人だったのでしょうね。教育において大事なところを素敵な言葉で定着できたのは、経験に裏付けられていたからだと思います。<諦めないこと>が基本であることも。そして、だからといって、<力まないこと>を。
Posted by masaccio at 2007年04月15日 11:41
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。