2007年06月09日

ひとりでに

<ひとりでに>起こることとはどんなものでしょう?

<自然に>と言ってもいい。

そういうものを肯定的に取っていいでしょうか?

日本には、老荘思想の影響もあって、無為自然を大事にするところがありますね。
西洋でも、ストア派の思想などには「自然に一致して生きる」といった考え方があります。

ここでは、否定的に取るべき場面について考えてみましょう。

「すべての凶事(まがいごと)は、ひとりでに起こる。計算違いも、ひとりでに起こる。パニックも、ひとりでに起こる。海難も、ひとりでに起こる。倒れるためには、注意力など、ちっとも必要でない。自然が、それを引き受けてくれる。間抜けであったり、不器用であったりするのは、むつかしいことではない。正義に悖るのは、むつかしいことではない。もうだめだと、考えることも、すべては躓き倒れる老人のようになる、と考えることも、むつかしいことではない。それは崩れ落ちる言葉である。これに逆らって、詩人は、創作するものだ、と私は思う。なぜなら、詩人は、言葉を垂直に立てるからである。もっと適切にいえば、彼は、あらかじめ、言葉を規則づけるのだ。なにをいおうとするか、まだわかってはいないのだが、彼は、規準に従ってものをいうことを、誓ったのだ。」
(アラン 『美学入門』 p.251)

この引用にもあるように、意志的な「誓い」こそ、詩人の言葉を救うものなのでしょう。

そんな厳しい誓いを立てて、思考し、行動することを、人々は忘れかけてはいないでしょうか?

教育の場面でもアランは次のような言葉を残しています。

「ひとりでに興味の沸くようなことのいけない点は、人がそれに興味を抱くのに骨をおらぬということであり、意志によってそれに興味を抱くことを学ばないということにある。」(アラン 『教育論』 p.12)
posted by masaccio at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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